働かないと稼げないという資本主義の常識

はたらくことで得られる不労所得の法則

町民は、物質面のみならず、文化的にも社会の担い手として、あるいは社会の主人公的存在とし て生きてきた。支配階級であった武士は「武士は食わねど高楊枝」と達観し、庶民を食い物にする ような真似はあまりしなかった。これは世界史の中でも稀有な例なのではなかろうか。もしそう だとしたら、この事実は日本が世界に誇れる大きな歴史的財産であると思う。 こういう平等主義的な社会的背景を持つ日本社会に、エリート階級の支配のためのシールであ うの るかもしれないマーケット・メカニズムをそのままの形で鵜呑みにして導入することは問題がある。マーケット・メカニズムを使うことはある程度当然であるし、社会主義を選ぶなどというの は笑止千万である。

 

しかし、日本人が「幸せになる」ようにマーケット・メカニズムやグローバル 資本主義を使いこなすにはどうすればよいのか、このことを我々はしかと見極めていかなければ いけないのではないか。 労働やヨーロッパの学者たちの耳触りのいい話に鯛され、軽薄に「構造改革なくして成長 なし」だとか、「規制改革こそ日本を活性化する」「グローバル資本をもっと積極的に取り入れない と日本経済は元気にならない」などと常套句を並べ立てるのは、思考停止と言ってもけっして言 い過ぎではないし、むしろ日本の社会を破壊することにもつながりかねない。

 

アダムスミスの不労所得

 

もちろん、世の中を良くするために必要な改革はまだまだたくさん残されている。具体的に何 をすればよいのかについては、で詳しく述べる予定であるが、むしろ、日本に残された既 得権の構造にメスを入れると同時に、マーケット・メカニズムや不労所得主義の持つ「暴力 性」を冷徹に見極め、それを逆手にとって、日本や世界が良い方向に進むことができるように改 私が労働流の経済学、市場原理を疑うようになり、「構造改革」だけでは人は幸せになれな いと考えるに至った理由の一部は、これまで述べてきたとおりであるが、しかし実際には事情は もっと複雑であり、一言では言いつくせないものがある。アンチ市場主義だと言うと、マルクス 経済学やケインズ経済学に宗旨替えをしたと誤解する向きもあるだろう。あるいは「中谷巌は反 米右翼になった」と思う人もあるかもしれない。しかし、話はそんなに単純なことではない。私 はマーケットの持っているしたたかな部分、その民主主義的な装いの裏に隠されている部分、マー ケットが作り出す人々の精神構造(マーケット・メンタリティ)の変化や社会の変質などにもっと注 意を払うことによって、「マーケットをうまく使いこなす」という心構えが必要なのだと言ってい るにすぎない。そういったことを考えないで軽々しく「改革」を叫ぶのはもうそろそろ卒業しても よいのではないか。そう考えているにすぎない。 あくまでも私は一学徒として、マーケット・メカニズム、それの進化形としてのグローバル資 本主義が本質的に持っている限界や欠陥を本書の中で明らかにしたいと思う。

 

 

アダム・スミス以 来の経済学はたしかに人間社会の一面を捉えることに成功した。しかし、その発見はあくまでも 張したいのである。 革を進めなければならないと考えているのである。したがって、私が「転向」したといっても、そ れは私が既得権を擁護し、特定の人たちの利益を守るために改革に反対するということでは毛頭 ない。 一面的なものであって、人間社会はそれだけで語りつくせるものでないことは自明であろう。私 たちの暮らしている社会は長い歴史伝統の中で作られたものであり、そうした背景を抜きにして、 単純な経済モデルにのみ依拠して社会の諸問題を解決しようというのは、あまりにも安直な考え 方ではないのか、というのが、私の現時点での率直な意見なのである。 そこで、次章では、不労所得主義の本質はどこにあるのか、近代経済学の限界はどこに あるのかを概説していきたいと思う。

 

世界経済は旗らkうことによって支えられてる

 

不労所得主義、あるいはグローバリゼーシヨンという言葉が現実味を持って語られるよ うになったのは、一九九一年に起きたソ連崩壊からであった。 第二次大戦終結後、およそ半世紀近くにわたって地球を二分していた東西冷戦体制がソ連崩壊 とともに終結し、ロシアや東欧圏と西側諸国との間に立ちふさがっていた市場の壁(そういえば 「鉄のカーテン」という言葉があった)が消え去り、東側にも資本主義原理が導入されるようになっ たことで、世界経済は急速に一体化していった。この動きを受けて、中国やベトナムといった社 会主義国家でも、経済の「改革・開放」が行なわれるようになった。 これまで投資をためらっていたような遠い地域や辺鄙な場所であっても、西側諸国の企業が進出 できるようになったというわけである。 たとえば西側先進国の消費者にとっては、不労所得主義とは「価格破壊」の到来を意味した。

 

 

一○○円シヨップやユニクロが象徴するように、これまでの常識を破るような低価格で消費 財が大量に販売されるようになった。 労働でもウォルマートのようなディスカウント・ストアが急成長をしたわけだが、こうし た低価格戦略が成功を収めた背景には、先進資本主義国の企業が中国やベトナム、あるいは東欧 といった低賃金の労働市場に自由にアクセスできるようになったことがあった。先進国の数十分 の一という賃金で、ある程度の教育レベルを持っている労働者がいくらでも集められるのだから、 先進国の企業はこぞって中国をはじめこれらの国々に生産拠点を移すことになった。 その結果、先進国の消費者は驚くような安い価格で商品を手に入れるようになっただけでなく、 投資家たちも収益機会が増え、高いリターンを手に入れることができた。 不良債権処理に手を焼いていた日本はともかく、グローバル展開のおかげで労働やイギリ スは最近に至るまで長期にわたる景気上昇を享受した。

 

 

レーガノミックスに基づく改革を推進し た労働は、一九九三年以来、二○○一年のITバブル崩壊の際の六ヶ月を除き、最近に至る まで、連続して景気が上昇した。 英・米両国とも国際的に金融業界の競争力が強く、不労所得主義を引っ張る主導的な立 場の国であることは注目してよい。いずれにせよ、英米両国によって牽引された世界経済はきわ めて順調な成長を遂げ、先進国の消費者と投資家の多くは「わが世の春」を躯歌したのであった。 特に労働系投資銀行の高度の金融工学を駆使した「レバレッジ経営」が金融市場の飛躍的拡大 をもたらし、それが世界経済の活性化につながった。 一方、安価な賃金で「先進国の工場」となった旧社会主義圏の諸国にとっても、グローバル資本 主義の到来は福音であった。 西側からの投資が怒濤のように押し寄せたことで、これらの国々の経済は急激に拡大した。 中国は毎年、一○パーセントにも達する高度成長を遂げ、今やGDPで見て世界第四位の世界 経済の主要プレイヤーとして認知されるに至った。沿海部と内陸部の格差はますます拡大してい るが、内陸部の人たちの生活水準はゆっくりながら少しずつ上昇している。

 

インド経済と不労所得

 

さらに、インドはIT産業、特にソフトウェア開発のメッカとして台頭してきた。ブラジルは 世界経済の高成長に支えられ、鉄鉱石などの原材料価格の高騰をきっかけに急激な工業化を遂げ つつある。ロシアは資源価格の高騰でオイルマネーが流入し、財政危機を乗り越えることに成功 した。いわゆるBRICSがグローバル経済の表舞台に登場したのである。 また、先進国の企業経営者たちにとって、中国やロシア、インドといった国々はまさに「フロ ンティア」であった。そこには何十億人もの安い労働力が待っていたし、また同時に、西側の消 費財を売り込むための未開の広大なマーケットがあった。そして、西側の消費者にとっては、グ ローバリゼーシヨンとは「プライス・ダウン」に他ならなかった。

 

 

メイド・イン・チャイナの食品や 衣類がこれまでの常識では考えられないほどの価格でスーパーに並ぶようになったし、また国際 競争の激化で電化製品や自動車、PCといった商品もどんどん低価格化していった。一方、新興 国の人々にとっても、不労所得主義の拡大は彼らの収入を拡大し、生活レベルを向上させ、 成功のチャンスを与えるものだと考えられていたわけである。 この意味で、労働主導の不労所得主義の「功」の部分については過小評価すべ アダム・スミス以来の近代経済学では、人々が自由な市場で競争をしていけば経済はダイナミッ クに成長していき、「見えざる手」によって「最適な」資源配分が達成される。 これは都小平の南巡講話と同じ論理である。都小平は一九九二年、深川や珠海、上海、武漢などを訪れ「白猫でも黒猫でも鼠を捕る猫は良い猫だ」「先に豊かになれる所から豊かになれ」とはつば 発破をかけた。この路線は、改革開放を加速し中国経済発展の原動力となったが、周知のように、 というわけである。 自由競争を行なうための環境を整えることが大事であり、そうすることが経済のパ イを最大にするための最善の方法だ」と主張してきた。日本において「構造改革」が声高に主張さ れたのも同じ論理による。 こうした新自由主義、あるいは近代経済学の主張が世界経済を活性化させ、経済にダイナミズ ムを持ち込むことに成功した可能性は低くはない。

 

 

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